エピソード
トリビア
タイトーが1983年にアーケードで発表した『フロントライン』は、戦場を舞台にしながらもどこか人間くさい温度を残す異色のアクションシューティングだ。ファミコン版(1985年)は、性能的な制約を受けながらも、当時の子どもたちに“戦場のリアル”ではなく“前進する勇気”を教えた作品として記憶されている。
主人公は青い軍服の兵士。ガニマタで足首だけを動かしながら、銃と手榴弾を頼りに前線を突き進む。その動作はぎこちないが、なぜか必死さを感じさせる。敵弾を避け、戦車を奪い、破壊されればまた降りて歩く。その単純な繰り返しの中に、当時のファミコンらしい“ドラマの欠片”があった。
アーケード版ではダイヤルスイッチを回して射撃方向を変えることができたが、ファミコンではそれが廃止され、前方にしか撃てなくなった。技術的な退化にも見えるが、むしろ「前へ進むしかない」という焦燥感を強調する要素として機能していた。
そして何より印象的なのは、このカセットにポーズ機能が存在しなかったことだ。説明書には「このカセットにはポーズ機能はありません」と明記されており、トイレに行くことすら命がけだった。戦場は止まらない。そんな“理不尽さ”を笑いながら受け止めた世代にとって、この仕様は語り草になった。一方で、家庭では偶然発見された“裏協力プレイ”も存在した。1コンで移動、2コンで手榴弾を投げるという分業スタイルだ。兄弟や姉妹が協力し、1人の兵士を同時に操作するという奇妙な遊び方。これはバグではなく、単にハード仕様の緩さが生んだ奇跡だった。そんな偶然の共有こそ、80年代の家庭用ゲーム文化の魅力そのものだ。
ガニマタの兵士は、決して強くない。手榴弾は思った方向に飛ばず、敵に囲まれたら一瞬で倒れる。それでもプレイヤーは何度も立ち上がり、再び歩き出す。敵を倒しても歓声もなく、ただ静かなBGMが流れるだけ。そこには派手さよりも“生き延びること”の緊張が漂っていた。
『ファミリーコンピュータMagazine』1991年5月号では「戦車は被弾しても降りれば復活するのがうれしい」と紹介されている。負けを許さず、再挑戦を促す設計。それはタイトー作品に共通する“人間的なリトライの哲学”だ。後の『戦場の狼』などリアル志向の作品とは違い、『フロントライン』はもっと素朴で、どこか温かい戦場を描いていた。
ポーズできない焦り、ぎこちない操作、そして終わりのない前線——それらは不便ではなく「当時の現実」だった。ファミコンがまだ家庭の遊び道具であり、夢の装置だった時代。『フロントライン』は、その混沌の中心に立つ一本だったのだ。
NAO:総評
ポーズも効かない、操作も不自由、でもなぜか夢中になる。そんなゲームが『フロントライン』だったんだぜ。敵弾を避けながら、ガニマタで進む兵士の姿が妙にリアルでさ。戦車に乗っても安心できず、降りた瞬間に被弾する——理不尽の連続。でもそれを笑って受け止められたのが、ファミコン初期の“余白の時代”だった。完璧じゃないからこそ、想像で補って楽しめた。戦場は止まらない。トイレも我慢して、ただ前へ。あの頃の子どもたちは、ゲームの中で本気で生きてたんだよ。
出典:NAONATSU:総評
あの兵士、足首だけでトコトコ歩く姿が忘れられない。ぎこちないのに、なんだか応援したくなるのよね。ポーズできないのも、無音の戦場も、全部が“ファミコンらしさ”だった気がする。姉と2コンを握って手榴弾を投げたあの時間、いま思えばすごく贅沢だった。失敗しても、すぐやり直せる。それだけで十分楽しかった。現実では止まっても、画面の中では前に進み続ける——『フロントライン』は、そんな小さな勇気を教えてくれる一本だったと思うの。
出典:NAT総評📘 説明書資料(フロントライン [TF-4500 03])
説明書:レトロゲームの説明書保管庫(フロントライン [TF-4500 03])
※Front Line [TF-4500 03](Famicom)(JP)
区分:説明書/Manual/Instruction_Booklet出典:※レトロゲームの説明書保管庫様による保存資料です / 権利は各社に帰属します

















































発売日:1985年8月1日|価格:4500円|メーカー:タイトー
NAO: 戦車を降りて敵陣に突っ込む、潔さと無謀さが共存してる。
NATSU: 操作系にクセあるけど、それが逆にアーケード風味。