エピソード
トリビア
1985年、任天堂が家庭に“ロボット”を持ち込んだ。それが『ジャイロセット』。このソフトは単なるゲームカートリッジではなく、ファミリーコンピュータ用の周辺機器「R.O.B.(ロボット)」と連動する専用タイトルのひとつだった。
R.O.B.は正式名称を「ファミリーコンピュータ ロボット」といい、『ジャイロセット』と『ブロックセット』の2本の対応ソフトが存在する。ジャイロセットでは、画面上の光信号をR.O.B.の目が読み取り、手に持ったジャイロスピナー(小型のコマ)を持ち上げたり回転させたりする。つまり、ファミコンの映像信号をトリガーに、現実世界のロボットが動くという構想だった。
セットには、専用ジャイロ、トレー、回転ユニット、スピンモーターなどが同梱。プレイヤーはゲーム画面に合わせてロボットを操作し、タイミングよくボタンを押すことでR.O.B.が回転コマを持ち上げ、別の台座へ運ぶ――その一連の動作を「目」で確認しながら進める。今日で言う「拡張現実(AR)」的な遊びを、1985年に実現していたと言っても過言ではない。
とはいえ実際のプレイ環境は極めて繊細だった。R.O.B.の“目”はブラウン管テレビの光をセンサーとして利用しており、蛍光灯や太陽光が差し込む部屋では誤動作を起こす。また、ジャイロの回転を維持するためにはスピンモーターで都度回転を与え続ける必要があり、電池の消耗も激しかった。結果として、「動くけど遊ぶのは大変」というロマンと不便さが同居した製品になった。
ただ、その存在意義は大きかった。任天堂は当時、1983年に起きた北米ゲーム市場の大崩壊(ビデオゲームクラッシュ)を乗り越えるため、“おもちゃ的価値”を前面に出した戦略を取っていた。NES(海外版ファミコン)を発売する際、「VIDEO GAME」ではなく「Entertainment System」として売り出し、R.O.B.を「家庭用ロボット玩具」として添付。「これはゲーム機ではなく、未来のおもちゃだ」と印象付けることで、流通業者の拒否反応をやわらげた。つまり『ジャイロセット』は任天堂が世界市場を再起させるための突破口だったのだ。
R.O.B.は、わずか2タイトル専用という短命な存在だったが、その後の「拡張デバイス構想」や「現実とデジタルの融合」路線の先駆けといえる。のちに『スマブラ』シリーズではR.O.B.自身がプレイアブルキャラとして復活し、その存在は伝説的な記号として残り続けている。
ジャイロセットは、単体での遊びとしては不便でありながらも、“家庭にロボットを連れてくる”という夢を実際に叶えた作品だった。ファミコンの光に反応して動くR.O.B.を見た瞬間、多くの子どもたちは「未来」を確かに感じていた。
NAO:総評
この発想、1985年でやってるのが狂ってる。画面の点滅でロボが動くとか、いま思えば物理の奇跡だぜ。でも実際に遊ぶと、照明の角度とかで暴走するんだよな。R.O.B.が首をカタカタ動かしてミスするたびに、「AIってやっぱ感情あるんじゃ…」って思った。不便で、うるさくて、だけど愛しい。任天堂の“未来実験”の原点がここにある。
出典:NAONATSU:総評
あの頃のリビングにロボットがいるだけでワクワクしたの。ボタンを押すと動く姿を、家族みんなで息をのんで見てた。でも蛍光灯の光で止まっちゃったり、ジャイロが傾いて泣きたくなったり。完璧じゃないけど、夢があった。あの小さなR.O.B.が、ファミコンの未来を一歩先に進めてくれた気がするのよね。
出典:NATSU📘 説明書資料(ジャイロセット [HVC-GY])
説明書:任天堂公式(ジャイロセット [HVC-GY])
※Gyro set [HVC-GY](Famicom)(JP)
区分:説明書/Manual/Instruction_Booklet出典:※任天堂公式によるウェブページです / 権利は各社に帰属します

















































発売日:1985年8月13日|価格:5800円|メーカー:任天堂
NAO: ファミコンの光でロボが動くとか、今でも信じられない技術。
NATSU: 本気で遊ぶには、ロボと専用部屋が必要だった。