北斗の拳

北斗の拳

北斗の拳

発売日:1986/08/10|価格:4900円|メーカー:東映動画|ジャンル:アクション

NAO: 原作の迫力を詰め込もうとした執念に拍手。
NATSU: 世紀末の空気を吸いながら、あべしを集める不思議体験。

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北斗の拳シリーズ

エピソード

  • トリビア

    1986年8月10日にファミリーコンピュータへ登場した北斗の拳は、世紀末の荒野を舞台にケンシロウが敵を倒しながら進むアクションで、原作の荒々しい空気を家庭のテレビへ押し込もうとした勢いがまず伝わってくる。画面は乾いた荒野と廃墟が続き、モヒカンの無法者やならず者が次々に現れるので、歩くだけで世界が殺伐としていて、しかも当時のキャラクターゲームらしく説明が多くないから、最初は何が起きているのか分からないまま殴って進むことになる。その乱暴さが逆に、原作を知っているほど笑いと緊張を同時に呼び、原作の迫力を詰め込もうとした執念という短評の意味が、開始直後から手触りとして分かる。いきなり細かい作法を教えない代わりに、殴れば何かが起きるという単純さだけを信じて突っ込ませるので、子どもは自分の手で遊び方を見つけた気分になりやすい。

    このゲームが妙に記憶に残るのは、敵を倒したときに飛び出すあべしという文字を拾い集めていく仕組みが、暴力の迫力を文字のギャグへねじ曲げながらも、遊びのご褒美として成立しているからだ。世紀末の空気を吸いながらあべしを集めるという感覚は、いま思い返しても変で、けれど当時の子どもには確かに分かりやすい。画面上に転がる文字がスコアの材料ではなく、自分の強さへ直結する収集物として見えてくるので、敵を倒す理由が単なる通過ではなく、欲張りたくなる行為に変わる。あべしを拾うたびに達成感があり、少しずつ強くなっていく体感がついてくるから、うまくいかない序盤でも拾えた分だけ次は少し楽になるという期待が残る。反面、強化が進むほど動きが派手になり、勢いで押し切れる場面が増えるぶん、弱い時期の窮屈さとの落差が大きく、同じ荒野でも気分が変わるし、急にうまくなったような錯覚も起きる。

    進行は横へ歩くだけの単純さに見えるが、道中には場面の切り替わりが多く、どこへ進むかを試しながら覚える作りになっているため、迷いがそのまま危険へ直結しやすい。敵の攻撃や当たり判定は荒っぽく感じる場面があり、ジャンプや移動の癖に慣れるまでが修行になるのに、慣れた頃にはテンポの妙な中毒性が勝ってくる。特に、敵が密集したところで一気に切り抜けられた時の気持ちよさと、同じ場所で何度も引っかかってしまう時の悔しさが、交互にやって来るのがこの作品らしい。だから友だちの家で交代しながら、ここはこう動くと抜けられるとか、ここで欲張ると死ぬとか、口で共有して上達していく遊び方とも相性が良く、原作の話題とゲームの失敗談が同じ席で混ざりやすい。荒っぽいからこそ、成功したときの再現性が低く、その偶然性がまた笑いを呼ぶ。

    ボス戦では原作の技名や決めぜりふを思わせる演出が差し込まれ、勝った瞬間だけは原作の迫力を真似できた気分になれるのが気持ちいい。けれど普段は、荒野を進みながら敵をしばき、あべしを拾い、強化の段階を一つずつ増やしていく作業の積み重ねで、そこに世紀末の乾いた空気がまとわりつく。名作の再現として見れば粗が目につくのに、遊びとして見ると妙に癖になるのは、原作の記号を無理やりファミコンの手触りへ落とし込んだ結果として、独特の面白さが残ったからだと思う。あべしを集めるだけで笑えてしまうのに、次の瞬間には真面目に殴り合っている、そのちぐはぐさが、当時のテレビの前でしか成立しない不思議体験として今も残る。原作の迫力に拍手を送りつつ、同時にその荒さへ突っ込みたくなる、その両方が同居するのが、この一本のいちばん世紀末らしいところかもしれない。いま遊び直すと、画面の荒さや動きの癖が先に目につくのに、数分後にはまたあべしを拾うために一歩だけ前へ出てしまうところが怖い。上手さよりも、慣れと勢いと運が混ざるので、正解を覚えるというより、失敗の型を減らしていく感じが残り、そこに原作の空気が乗るから、変な説得力が生まれてしまう。当時はテレビの中で叫ばれていた言葉が、ゲームでは拾える文字になって落ちているというだけで十分に新しく、友だちが横で笑うだけでゲームの価値が一段上がった。あべしを取り逃して悔しがったり、わざと拾わずに進んでみたり、勝手に縛りを作って盛り上がれる余地があり、作品の強さというより、遊び場の空気まで含めて記憶に残るタイプの一本だった。

  • NAO総評

    荒野の殺伐さと敵の圧だけで拳が重く感じるのに、倒した相手から「あべし」が転がり出て、それを拾うほど強くなる。世紀末の残酷さが、文字のギャグへ反転してしまう仕組みだから、「原作の迫力を詰め込もうとした執念に拍手」と書きたくなるんだ。
    操作や当たり判定の荒さに何度も突っ込みたくなりつつも、友だちの家で交代しながら「ここは欲張ると死ぬ」「今のは運だ」と言い合っているうちに、笑いながら指だけは癖を覚えていく。
    再現ではなく、圧縮の歪みが味へ変わり、語り草になる失敗まで含めて残る。強化が進むと、勢いで押し切れる気持ちよさが勝って、結局また一歩だけ前へ出てしまう。
    まったく恐ろしい、1986年の熱と雑さがそのまま詰まった標本だぜ。
    出典:NAO
  • NATSU総評

    世紀末の空気を吸いながら「あべし」を集める不思議体験って、言葉だけなら笑えるのに、実際に遊ぶと荒野の寂しさと敵の怖さがちゃんとある。だからこそ文字が転がるたび、なぜかほっとしてしまうのよね。
    強化が進むと、少しだけ前へ出られるようになる。友だちと交代しながら失敗を笑い合うほど怖さは薄れていくのに、ひとりで夜に遊ぶと妙に心細い。
    操作の癖や理不尽さに慣れるたび、自分の冒険が一行ずつ増えていく感じがして、「次はもう少しだけ上手くやれるはず」って信じてしまう。気づけば「あべし」を拾うために引き返していて、また一歩だけ前へ出たくなるのよ。
    原作の荒々しさとファミコンの可笑しさが同じ画面に並ぶから、当時の夏の手汗まで一緒に思い出になるの。
    出典:NATSU

説明書資料(北斗の拳 [TDF-HK])

説明書:レトロゲームの説明書保管庫(北斗の拳 [TDF-HK])
※HOKUTO NO KEN [TDF-HK](Famicom)(JP)
区分:説明書/Manual/Instruction_Booklet
※レトロゲームの説明書保管庫様による保存資料です。権利は各社に帰属します。

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